乗鞍へ登ったあと夫は次は御嶽山と決めていました。
私の祖母の家が東急池上線の御嶽山と久が原の間にあったので御嶽山といえばそこを思い出してしまうのですが、登ったのはあの噴火してしまった御嶽山でした。
御嶽山駅のそばには確か御嶽神社があったと思うのですが、今回登る御嶽山はちょっと関係があったような気がします。
御嶽山に登るために近くのペンションに2泊しました。
あいにく天気が悪くて二日目は登れませんでした。雨の中登るほどの根性は持ち合わせていなかったので、雨ならやめるという選択しかありませんでした。
帰る日、天気はあまり良くはなかったのですが絶対無理かというとそれほどでもなく一か八か登ってみることにしました。
同じ宿に泊まっていた一家も登ってから帰るような話をしていましたから。
実は乗鞍へ登った時下山で膝を痛めた夫は帰りの車の運転ができないと言いだし、予約していた宿まで私が運転する羽目になっていたのです。(まあ距離は短かったけど)
御嶽山に登ったら神奈川の家まで車で運転できるのか不安を感じながらも登り始めると霧雨が降り始めました。
最初はなだらかだったのですが、途中から頭も痛くなりちょっとずつしか前へ進まなくなりました。(私だけ)
一人だけ引き返して車で待ってようかとも思いましたが気を取り直して一歩ずつ亀の歩みで進みました。
夫はさっさと進み休憩、またさっさと進み休憩を繰り返していたようです。
私は休まない代わりに歩幅も小さく息が上がらない速度で登り続けました。
この辺りで夫や子供に追いつきました。
避難小屋ですね。
避難小屋の存在意味に気づいたのはこの後のことです。
途中同じ宿に泊まっていた男の子(といっても二十歳前後と思われます)にあったのですがその時彼に今日は硫黄の匂いが強いですね、と言われたのを今でもはっきり覚えています。
その頃は雨も止んで家族にも追いつき頂上まで後少しでした。
頂上かと思ったけれどまだ登ります。
山頂は曇っていて景色はさっぱりでした。
でも3067m!
この時御朱印をもらうかちょっと考えてやめました。
当時は御朱印帳も持っておらずこれといった信仰心もなかったので。
山頂にはそんなに滞在せず降り始めました。
さっきの頂上山荘あたりでお昼を食べました。
寒かったのでさっさと下ります。
私と子供は快調に降りていましたが、夫は会社から電話があったりして遅れがちになり
待っていると体が冷えて寒いので先にどんどん降りてしまいました。
電話するとだいぶ遅れを取っているようだったので車で待つことにしました。
遅れること一時間、やっぱり膝が痛いといって辛そうに戻って来ました。
私よりなまじ体力があるので膝に負担をかけているのでしょうか?
下りは特に膝にきます。
とはいえその日は無事自宅まで運転してくれました。
そのちょうど一ヶ月後御嶽山噴火のニュースを出先で知って恐ろしくなりました。
私たちの登った日は天気も悪く紅葉もまだだったので人もさほど多くなかったのですが、ニュースをみる限り大勢の方が登っていたようでしたから・・・。